阪神淡路大震災から25年。

今年もまた1月17日がきました。
25年前のこの日,午前5時46分,まだ朝早く眠っているところ,どーんと下から突き上げるような振動。
急いでテレビを点けても震源がどこだか分からないまま数時間。
まだSNSなどまともに発達してないころだったので,なかなか正確な情報が得られません。
出勤するころにはようやく震源がわかり,それでも最初に数人だと報道されていた死者はあっという間に4桁に…。
当時研修医だった私は,この日本で今大変な思いをしている人たちがたくさんいるから,今日自分ができることを頑張ってするのが私ができる唯一のことなのかな…と戸惑いながら仕事をこなしていました。
某地方都市の中核病院で小児科の研修医として,当日午前中はNICUの当番だったので新生児の採血やら何やら,仕事はとにかくたくさんありました。午後は時間外外来の担当,旅行にこられていた子どもさんの発熱でした。住所は神戸市東灘区。カルテを見て一瞬目を疑ったのは言うまでもありません。震源近くで火災が続いていて,テレビから何度となく流れてくる地名。連れてこられたお父さまも「とにかく何が起こっているのか見当もつかないので,旅行中止してすぐに帰りたいと思ってるんです。でもちゃんと帰れるかどうか…」。数日後どんな薬が出されたのか確認したいとお父さまからお電話があり,「まあ大変なことにはなっていますが…旅行中でよかったと言ってよいのかどうか…」と戸惑いを隠せないのが伝わってきました。
私にできることなんて本当に何もない…と切なくも再度実感したのでした。
そして数年後に神戸を訪れ,復興していく街の姿に感動を覚えました。

東日本大震災の記憶も新しいどころか,まだ解決していない問題が山積しているのにすでに今年で9年。
今の私なら25年前の何もできなかった自分よりは何か人様のお役に立てるのだろうか,と1月17日,3月11日を迎える度に自問しています。

(吉田任子)